親子三世代でつなぐ「かわる美」「つづく美」│ハービンドールエステ運営 株式会社SCB 新里睦子さん
ASHIYA RESUME ロールモデルを見つけるインタビュー
芦屋を拠点に活動をする女性たちのさまざまな暮らし方や働き方についてお聞きするロールモデルインタビュー。
今回のインタビューは芦屋市大桝町で「ハービンドールエステ」を運営、化粧品のハービンドールシリーズを開発・販売を行う株式会社SCB取締役会長である新里睦子さんです。
美容の道一筋で歩んでこられた道のりとお仕事への想い、化粧品の開発のこと、親子三代で運営する「ハービンドールエステ」についてお伺いしました。
生きていくために美容の世界へ 働く選択肢が少なかった時代
3人目の子どもを妊娠中にが急逝し、働かなければならなくなった当時は、時短勤務やパートといった働き方の選択肢がなく、女性が働くこと自体が難しい時代でした。食べていくためには、何らかの資格=手に職をつけるしかなく、美容も特に興味はなく接客も苦手だったのですが、スキルがない私には「これしか道はないよ」と美容師の姉に勧められ、美容師の資格を取ることになりました。
子育てしながら、美容学校に通い、姉の経営する美容院で働き、インターンを終えて美容師資格と管理美容師の資格を取りました。周りには大変だったでしょと言われますが、主婦でいた頃もじっとしているのは性に合わないと感じていたので、働くこと自体は楽しかったのを覚えています。
姉の死で無気力に ただ過ぎていく時間に生じた不安をきっかけに再び一線に復帰
29歳で姉のサロンの支店を任されました。その頃姉は出産後から続く体調不良と重度のアトピー性皮膚炎で悩んでおり、売り上げのほとんどが治療代に消えていくという状況でした。その後入退院を繰り返して、42歳という若さで姉は亡くなりました。姉は仕事・子育て・生き方すべてにおいて導いてくれた師だったので「姉のいない美容室なんて…」とサロンを閉めてしまいました。
それまでは時間に追われる生活だったので、のんびり過ごしていたもののある時ふと「このままで大丈夫だろうか?私は何を目標に生きたらいいのか?」と世間から取り残されていくような不安に襲われました。やっぱり自分は働いていないとダメだと思い、2ヶ月半ですぐに仕事に復帰し、再び美容師としてがむしゃらに働きました。働くことは楽しかったのですが、とにかく忙しく、時間にも心にも余裕がない日々に「これでいいのだろうか…?」と再び考え始めた頃、外資系の美容関係の会社にお声掛けいただきました。
働き方や環境に疑問を感じたら「このままでいいのだろうか?」と立ち止まって考える
新しい職場では、学歴や英語のスキルがなかったにも関わらず、美容師経験を買われて、新しく立ち上げたヘアカラーの部門で理容師向けのヘアカラー講師の仕事に就きました。美容師時代の技術や知識を生かせることにやりがいを感じ、必死に働きました。出張続きで家を空ける日が多くなりましたが、子どもたちには家事を一通り教えていたので、ものすごく助けられました。
ただ理容室の営業終了後に講習が始まるため、大抵は夜8時以降から講習が始まり、午前1時を回ってからの帰宅は当たり前で。不規則な生活で食生活が乱れ、体重が急増してしまいました。そのわりにお給料があまりにも少なく、女性というだけで不当に扱われ、女性の立場が認められない環境に憤りを感じ、退職しました。
退職後、化粧品メーカーにお声掛けいただきました。自社化粧品とエステティックサロン、美容室、皮膚科、アトピー専門風呂の会社で、そこで化粧品の作り方を学びました。この経験が後の化粧品開発に活きることになります。
その会社では統括マネージャーとして働き、会社にも貢献できたこともあって、独立を決め、ついに「ハービンドールエステ」をオープンしました。44歳での独立開業は、大きなチャレンジでした。
姉の想いを実現するためにオリジナル化粧品を開発
肌荒れに悩んだ姉から、亡くなる前に「どんな肌の人でも使える化粧品を作ってほしい」と託されました。化粧品メーカーの方とのご縁で、5年の年月をかけてハービンドール化粧品を開発することができました。その際にハービンドールエステサロンのお客様がモニターになってくださったことも大きな力になりました。もしかすると姉も後押ししてくれていたのかもしれません。テレビ通販番組をきっかけに、商品を取り扱いたいという代理店が増え、多くの人に手に取っていただける商品に成長しました。大きなクレームもなく、自信を持ってお届けしています。
仕事とは「楽しさ」と「責任」
昔、美容の仕事に就くのは若い人の方がいいと思っていました。しかし実際には、お客様からの信頼につながるのは美容の仕事を続け、お客様の肌と向き合い、心を開き、癒しを与え続けてきたからこそだと、今になって思えるようになりました。そうでなければ「新里さんの作るものなら」とお客様が化粧品開発のモニターになってくださることはなかったかもしれません。私を信頼してお任せくださったのですから、責任を持って応えなければなりません。技術や経験だけではお客様の本当の美しさを作り上げることは出来ないと思っています。
心の状態は肌に表れるもので、心身共に癒されてこそ内側から輝く美しさにつながります。性格や心の状態で表情やお肌の状態、見た目年齢って変わりますよね。顔を曇らせているお客様の心を開き、癒しを与えるためには聞き出し上手になることも大切だとスタッフにいつも話しています。
また、癒す側が硬い表情でいては、安心して心を開いてもらうことは出来ません。ですから、仕事が楽しいと思いながら働くことも大切だと考えています。
必要とされる環境で一生懸命働いてきたから 好きだと思えることにたどり着いた
美容業界で様々な職種を経験してきた中で気づいたのは、自分が「何かを作る」ことが好きだということです。美容の中でも肌を美しくすることが一番好きです。手入れをすればするほど変化があり、どんどん美しくなる。肌をお客様と一緒に作り上げるという、一つの作品を作り上げるような過程の中で、私のエネルギーがみなぎることを実感しました。
好きで始めた仕事ではありませんでしたが、必要として下さる場所で一生懸命働いてきて、色々な経験をさせてもらえたからこそ、好きなことや得意なことにたどり着いたと思っています。
過去の私へのメッセージ「かわる美、つづく美。」
「やりたいこと」がなかった当時の私へのメッセージであり、会社のコンセプトでもあります。仕事も美容、どちらも経験や実績・固定概念にとらわれていてはいけない、変わることを恐れてはいけないと実感しています。変わっていかないと厳しい美容の世界では生き残っていけないですし、しがみついていてはどんどん出てくる新しくて良いものには出会えませんよね。
私自身ずっと新しいことにチャレンジし続けてきました。
化粧品の開発、テレビ番組、代理店が増えたこと、娘や孫が入社し、孫の提案で取り入れた新しい仕組み…。チャレンジのたびにお客様に喜んでいただけました。
美容師、3つの会社、独立、今に至るまで、働き方は変わっても、一度も美容の仕事から離れることはありませんでした。続けてきたから、お客様が信頼してくださり、娘や孫に働く背中や生き方を見せることが出来ました。そしてその娘と孫が私と同じ道を選び、親子三代で一緒に働き、美容を続けていけることは本当にうれしく思っています。
これからは、サロンは若い世代にお任せしていきますが、私の仕事や生き方、在り方はずっと伝え続けていきたいです。今度はずっとやりたいと思っていた食の分野にもチャレンジしたいと考えています。