インタビュー

夫の存在が私の人生のモチベーション|BOTTEGA BLU. & チョークアーティスト大島淑好さん

芦屋や芦屋周辺で活躍するさまざまな起業家や女性たちの言葉をお届けしているロールモデルインタビュー。

今回は人気イタリア料理店のマネージャーとしてお店の経営をサポートしながら、チョークアーティストとしても活躍する大島さんに、活動のきっかけや経緯、ご自身の働き方についてお話しをお伺いしました。

インタビュー実施日|2023年11月

 

プロフィール

 

芦屋駅近くの人気イタリア料理店「BOTTEGA BLU.」のシェフを夫に持ち、自身もマネージャーとしてお店の経営をサポートしながら、チョークアーティストとしても活動をしている大島淑好(おおしまよしこ)さん。もともと名古屋で会社員として働いていた時に、現在の夫(料理人)と出会い脱サラ。夫の夢を支えたいとの思いからバリスタを目指す中で、チョークアートと出会います。関西初のチョークアーティストとして数々のメディアに出演し、その後チョークアート講師として活躍をされていました。現在は「BOTTEGA BLU.」のマネージャー兼チョークアート講師としてパラレルに活動をされています。

 

運命の人との出会いから、チョークアートの世界へ

 

愛知県出身で、名古屋の商社で会社員として20代を過ごしていた時に、今の夫となるシェフと出会いました。出会ってすぐに直感で「私この人と結婚する」と思い、イタリア料理店を持つことを目指していた夫の何か役に立ちたいと、会社を辞めてバリスタを目指すことにしました。

 

しかし、バリスタの修行としてカフェで働きはじめた頃、最初は掃除や雑用などでバリスタのマシンにすら触らせてもらえず、一番最初にバリスタとしてもらった仕事がその日のコーヒーをお店の看板に書くことでした。看板を書くことすらはじめてでどんな風に書けばいいのかがわからず、看板やイラストなどのキーワードでネットを使って色々と調べていた時に、たまたま「チョークアート」という世界を知りました。

 

「BOTTEGA BLU.」の店内に飾られた大島さんのチョークアート作品

 

自分もこんな風に可愛く看板が描けたら今働いているお店でも役に立つし、将来夫が自分のレストランを持った時にも役に立つかもと思い、チョークアートを学ぶ方法を探し始めました。ただ、当時まだチョークアート自体が日本でそれほど認知されておらず、チョークアートを学ぶためには東京にあるスクールに通うか、本場オーストラリアに行くぐらいしか選択肢がありませんでした。

 

それでも諦められなかった私は、三重県でチョークアーティストとして活動をしていた方を見つけ、当時、まだ講師はされていなかったにも関わらず直談判して弟子入りし、チョークアートの世界へ飛び込みました。

 

関西初のチョークアーティストとして活躍

 

チョークアートを習得するために名古屋から三重まで通う日々がはじまり、実際に学んでみると魅力にどんどん引き込まれ、アーティストとして技術を身につける傍らで「やっている人が少ないのなら、もっと日本で広められるはず!」と言う思いを強く持つようになりました。

 

その思いから東京を中心に師匠とともに5人で、チョークアートを広めるための協会の立ち上げにも携わりました。現在は立ち上げた協会は卒業して、関西を中心に新たに『一般社団法人チョークボード協会』を立ち上げています。

 

学びながら講師の資格も取得していたので、夫との結婚を機に関西へ引っ越してきたそのタイミングで「関西でもチョークアートを広めたい」と、アーティスト活動と普及するために講師活動をはじめることにしました。最初の頃は自分で事業をしたこともない中で役所に相談しながら開業を進め、集客の右も左もわからずでスタートしたので、講師として依頼が入るまでは近隣のお店に直接営業してチョークアートの販売をしていました。

 

活動を続けるうちに、たまたま日経新聞で掲載された『秋の芸術の秋特集』のひと枠にチョークアートを取り上げてもらったことがきっかけで、それを観たテレビ局から出演依頼の声がかかるようになり、そこから継続的にメディアに出演させていただきました。テレビの放送後は「チョークアートを制作してほしい」という声や「生徒としてチョークアートを学びたい」という方からの連絡が相次ぎ、気が付くと携帯の充電が切れているほどの反響でした。

 

そこからはアーティストとしてよりも講師業が忙しくなり、自宅兼教室を構え一日最大7人を一日中教え、合間にはカルチャーセンターからセミナーの講師として呼んでいただくなど、目まぐるしい日々を送ることになりました。講師としての生活は充実していましたが、アーティストとしての活動をする時間が無いことにジレンマを感じたり、講師として教える中で自分よりも上手な生徒さんに出会ったり、一時期講師として活動することを辛く思う時も正直ありました。

 

チョークアーティストとしての過去を振り返る大島さん

 

念願のレストランオープン、講師業との両立への模索

 

2010年ついに夫の夢だった念願のレストランを、ここ芦屋にオープンすることになりました。夫婦二人でお店をすることがずっと夢だったので、お店のオープンに100%の力を注げるようにと、当時教えていた生徒さん達の卒業を見届けて、それまで休みなく続けていた講師業は休業することにしました。

 

しかし、お店が無事にオープンしてからもずっと、心の中には「私の本業はチョークアート」という思いがあり、チョークアーティストとしての自分を完全にゼロにすることはできていませんでした。

 

店内に飾ってある私の作品を見て興味を持たれた方から、「教えて欲しい」と言われチョークアートの講師業を再開することを考えるようになりました。講師としての活動を再開することについて、夫に相談したところ「自分の空いている時間でやったらいいやん!」と後押しされ、お店をしながらチョークアートを続けるのは無理だと自分で決めつけてしまっていたと気が付きました。

 

最初はランチ営業と夜営業の間の時間ではじめてみましたが、やはりその時間は買い出しや夜の準備で忙しく、上手く時間を活用できませんでした。色々考えて実践してみた結果、今は一番時間に余裕のある朝の9時から11時までの営業前の時間で来られる生徒さんに限定して受け付けています。

 

お店の定休日には専門学校やカルチャーセンターへ、外部講師として出向くこともあります。そうすると自分の休みはなくなってしまうのですが、アーティストとして活動しはじめた当初からのご縁もあり、せっかくオファーをいただいているので、「やらない」という選択肢はないと私は思っています。

 

「BOTTEGA BLU.」人気のグルテンフリー&無添加の米粉チーズケーキ

自身のアーティスト活動を振り返って

 

私がチョークアートを続ける理由は「必要とされているから」で、作品をみて学びたいと来てくださった生徒さんの喜ぶ顔を見ることに一番のやりがいを感じます。また、チョークアートを描いて欲しいというオファーは、アーティストとしての作品を求めてくださっていると感じるのでですごく嬉しいです。

 

改めて自分のチョークアーティストとしての活動を振り返ってみると、学びはじめた頃は「もっとこんな作品が描きたい」とわくわくしながら制作していて、あの時が一番純粋にチョークアートを楽しんでいたと思います。講師としての活動は長くやってきているけれど、自分の作品を生み出すことを今までやってきたことが意外と少なく、講師としてではなくアーティストとしての作品づくりに一度集中してみたいと今は強く思っています。そのためには、マネージャーとしてお店の運営面の工夫をしながら、自分のアーティストとしての活動時間を確保することが今の課題です。

 

過去の私へ届けたいメッセージ「思い立ったが吉日」

 

夫と出会った頃からずっと「この人をシェフとして有名にする」というのが私の目標で、そのためにマネージャーとして色んな賞に挑戦したり、テレビ局に売り込んだりとお店の広報活動も全力でサポートしてきました。チョークアートをはじめたきっかけもそうですが私の活動のモチベーションは、ずっと変わらず夫です。夫がいなければ、チョークアートと出会うこともなかったし、何もやっていなかったと思います。

 

妻として、母としての顔がある女性は、何かをはじめる時は相手に伺わないといけないなど、どこかためらいがちなことが多いと思いますが、そんな時は心の中にしまっておかずに言葉にしてみることが大切だと思います。

 

私達夫婦は「思い立ったが吉日」という考え方を大切にしていて、何かに挑戦するときに今からじゃ遅いと年齢で諦めることはしません。私達は人より人生が十年遅れている、だから実年齢よりもマイナス十歳だと言い聞かせて、年齢を言い訳にせず前を向いて挑戦し続けてきました。

 

思い立ったその時が最善の時、そう信じて常に前進あるのみです。

 

 

 

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