インタビュー

「迷わずに進めるのは家族のおかげ 周りも自分も信じて」ピアニスト木田陽子さん

芦屋を拠点に活動をする女性たちのさまざまな暮らし方や働き方についてお聞きするロールモデルインタビュー。

今回は、10年間のアメリカ生活を経て、現在は日本で活動するピアニストの木田陽子(きだようこ)さんに、帰国後に活動の幅を広げていった経緯や、音楽活動と子育ての両立についてお話しいただきました。

インタビュー実施日|2023年11月

(ご紹介)

東京藝術大学卒業後にボストンへ留学し、学業の傍ら、世界各地で演奏活動を行ってきたピアニストの木田陽子さん。ボストン交響楽団が主催するタングルウッド音楽祭やカーネギーホールのワークショップ※にも参加し、ニューヨーク・タイムズ紙に「優れた演奏家である」と評された演奏家です。10年にわたるアメリカでの生活を終えて、結婚・出産を機に日本へ帰国。現在は、子育てと両立をしながら、ピアノ教室の運営と、国内での演奏活動を精力的にこなされています。

※カーネギーホールが運営するワイル音楽センターでは各種の音楽教育プログラムを提供している。中でも、オーディションで選抜された若手演奏家が世界的な演奏家の指導を受けたのちリサイタルホールで演奏するカーネギーホール・ワークショップは、若手演奏家の登竜門として注目されている。

「ピアノは辞めちゃダメよ」と言ってくれた義母

留学は2~3年で帰ってくる予定だったのですが、アメリカでの生活が楽しくて、修士課程が終わると、博士課程へ進むことに。学生ビザで滞在している間は、自分の専攻の範囲内で働くことができるので、他の楽器や歌の伴奏をしたり、子どもに教えたりして、生活費を稼ぎながら過ごしました。

アメリカに滞在して9年目で、現地で知り合った日本人の夫と結婚をしました。博士課程を終えたので、ビザをアーティストビザに切り替えるか帰国するか、迷っていたのですが、夫が日本で仕事をすることになったので、日本に帰ることにしました。第1子が生まれたばかりだったので、夫だけ先に帰国してもらうことに。

産後1カ月はちょうど4月頃で、アメリカでは伴奏の需要が高くなる学期末でした。実母の協力のもと、仕事に復帰をして、しばらくはオムツ代を稼がせてもらいました。子どもが3カ月になる頃には、日本に帰ってきました。帰国後の仕事についてはあまり考えていなかったのですが、ありがたいことに、私が考えるより先に、周りが「続けるでしょ?」と働きかけてくれました。

生後4カ月の子どもを抱っこしながらピアノを弾く木田陽子さん

義理の母はもともと美容師で、お店を経営したり、お花を教えたり、いろいろなことを自分で切り開いてきた人だったんですね。私には、「ピアノは辞めちゃダメよ」と言ってくれました。私の父も、結婚をする時に、夫へ「ピアノを続けさせてください」と話してくれていたようです。ピアノは一度休んでしまうと、再開するときが本当に大変なので、続けられるような環境を周りがつくってくれていたのは、ありがたいなと思いました。

帰国後の仕事を広げてくれたのは、アメリカでの経験

子どもが4カ月になる頃、アメリカで知り合ったバイオリン奏者が、日本で演奏する際の伴奏者が必要だと声をかけてくれました。それが帰国して初めての仕事だったと思います。それから、自宅にて少しずつピアノ教室の活動を始めました。

その後は、アメリカで知り合った音楽家と日本で一緒に演奏したり、藝大つながりで知り合った方と一緒に演奏会をしたり。人と人とのつながりでだんだん仕事が増えていきました。聴くとおわかりいただけると思いますが、演奏にも人柄が出ます。その演奏を聴いて、依頼してくれた人がさらに知り合いに紹介をして、つながっていくのです。

2007年12月にカーネギーホールで演奏。この写真は、ニューヨークタイムスにも掲載された。

私がいた音楽院は、弦楽器の学生が特に優秀で、今は世界的なオーケストラで活躍されている方がたくさんいました。その学生を支えるのが伴奏ピアニストで、腕があっても練習不足だったがゆえに、不当な評価を与えられた方を何人も見てきました。一度弾けないと思われると、リベンジの機会がなかなか与えられない世界です。この時に、演奏家である前に人として大切なことは何かを学びました。今でも、音楽的な違和感がある時はちゃんと意見をする、時間を守る、リハーサルまでに曲を仕上げておくということに、とても気をつけています。アメリカ滞在中に経験したことが、今も役立っていますね。

2010年、ダングルウッド音楽祭にて音楽仲間と

チャンスが来たら、頼れるところを全て頼ってチャレンジ

第2子出産後も早めに復帰しました。義理の母、夫や実母など、家族の協力のおかげです。自宅でレッスンをする時は、だいたい義理の母が来てくれたのですが、来られない時は芦屋市のファミリー・サポート・センターの預かり保育を利用していました。アメリカでは、ベビーシッターを雇うのが当たり前です。人に頼りながら子育てをするという光景をたくさん見てきたので、上の子が1歳になる前から利用しています。

下の子が 2 歳になる直前に、国際コンクールの公式伴奏という、すごく大きい仕事をいただいたんですね。ギャラも良かったし、ステップアップにもなるから絶対にやりたいと思っていたのですが、用意しないといけない曲が本当にたくさんありました。練習期間は、義理の母とシッターに、毎日来てもらって、交代で数時間ずつ子どもを見てもらっていました。この時ばかりは練習と子育ての両立が本当にしんどかったです。

ソロリサイタルの様子

本番は、東京に10日間滞在する必要があったのですが、上の子は夫と義父母に見てもらい、私は下の子を連れて東京へ行きました。ホテルに実家の母を呼んで、子どもを見てもらうことに。現地の一時保育も利用して、なんとかやり切りました。

ギャラで回収できたのかはわかりませんが、保育料でお金がたくさん飛んでいきました。でも、こういう仕事は一度断ったらもう絶対来ないんです。木田陽子は子どもが大きくなったから、もうそろそろ頼めるだろう、なんて都合のいいことは起きません。だからこそ、頼れるところを全て頼りました。子育てをする前は、自分で何でも抱え込むタイプでしたが、子どもを産んでからは、頼らないとダメなんだと思うようになりました。

自分を信じて、周りを信じれば、なるようになる!

2020年9月には、ピアノ教室を正式に開業しました。今、教室には24名生徒がいます。実は、社会人の方が多いんです。ずっと趣味で続けていらっしゃる方や、ピアノの先生をしている方、スキルアップで来られている方もいます。生徒さんがふと口にした言葉が腑に落ちて、自分の練習に役立つこともあって、良い循環だなと思っています。

起業をして良かったことは、自宅から離れたところに自分の居場所ができたことと、責任感が生まれて、気が引き締まったことです。開業後に2台目のグランドピアノであるスタインウェイを購入したので、やるしかない!という状況ではあります。

私の場合は、周りからの働きかけもあって、今ここに立たせてもらっているので、周りを信じて、自分も信じて、あとは、なるようになる!という気持ちで、これからも活動を続けていきたいと思っています。

 

「木田陽子ピアノスタジオ」
https://ameblo.jp/yokokida-pianist/entry-12606671579.html

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